「突撃!隣の晩ごはん」は今どうなった?1985年開始から2026年の現在まで徹底解説
1985年に日本テレビ系の情報番組『ルックルックこんにちは』で始まった「突撃!隣の晩ごはん」。大きなしゃもじを手にしたヨネスケが、一般家庭の夕食時に突然訪問し、その日の晩ごはんを紹介する名物企画として、長年にわたりお茶の間で親しまれてきた。
2026年現在、かつてのような地上波のレギュラーコーナーとしては放送されていない。しかし、企画そのものが完全に消滅したわけではない。BS日テレでの復活、YouTubeでの活動、老人ホームへの訪問企画など、形を変えながら受け継がれている。さらに、2026年3月には『徹子の部屋』で約6,000軒の訪問秘話や高市早苗首相との意外な接点が明らかになった。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 開始時期:1985年、『ルックルックこんにちは』の人気コーナーとしてスタートした。
- 放送終了の経緯:2011年3月に日本テレビの『DON!』でのレギュラー放送が一区切りとなったが、2016年にはBS日テレで復活した。
- 訪問実績:ヨネスケ本人が2026年のテレビ出演で、訪問した家庭は6,000軒以上と明かしている。
- ヤラセ疑惑:初回ロケの最初の1軒だけは事前に連絡していたが、その映像は採用されず、次の家庭から本格的なアポなし訪問になった。
- 2026年の現在:テレビ出演やYouTubeでの発信を続け、9月には落語家としての芸名を「ヨネスケ」に統一した。
【結論】突撃!隣の晩ごはんはいつ始まった?現在の放送状況も解説
「突撃!隣の晩ごはん」の始まりは1985年。日本テレビの朝のワイドショー『ルックルックこんにちは』で放送された企画だった。
当時のヨネスケは、巨大なしゃもじを持って一般家庭の玄関を訪れ、突然の訪問に驚く家族と会話しながら食卓を紹介。料理の内容だけでなく、家庭ごとの生活習慣や地域の食文化まで伝える番組として人気を獲得した。
この企画の特徴は、単なる料理紹介ではなかったことだ。高級レストランの料理でも、料理研究家が考案したレシピでもない。普通の家庭で、その日に食べている夕食を見せてもらうという、極めて身近なテーマだった。
番組が親しまれた背景には、ヨネスケの独特な話術と距離の縮め方がある。玄関先では大きな声と笑顔で挨拶し、家族の緊張をほぐしながら食卓へと進んでいく。落語家として培った会話力が、企画の魅力を支えていた。
2026年現在、テレビで毎週放送されているのか
2026年10月現在、「突撃!隣の晩ごはん」は地上波やBS日テレで毎週放送されるレギュラー番組という形では確認できない。
BS日テレでは2016年に復活し、2017年には特別番組も制作された。しかし、復活時の放送枠だった『真麻のドドンパッ!』自体も終了している。
一方、ヨネスケの公式YouTubeチャンネル「突撃!ヨネスケちゃんねる【落語と晩ごはん】」では、落語界の人物や寄席の舞台裏などを紹介する動画が公開されている。2026年10月にも新作動画が配信されており、本人の活動は現在も続いている。
つまり、現在の状況を整理すると、テレビの定期放送は終了したものの、ヨネスケの代名詞として企画の知名度とスタイルは残っているということだ。

【歴代放送番組】ルックルックこんにちはからDON!までの変遷
「突撃!隣の晩ごはん」の大きな特徴は、放送母体となる番組が変わっても企画が継続したことだ。
1985年の開始以降、朝のワイドショー、夕方の報道番組、昼の情報番組へと放送場所を移している。番組の看板が変わるたびに企画のタイトルや放送時間も変化したが、ヨネスケが一般家庭を訪ねるという基本スタイルは維持された。
歴代の放送番組と主な転換点
| 時期 | 放送番組・企画名 | 主な特徴 |
|---|---|---|
| 1985年~2001年3月 | ルックルックこんにちは | 「突撃!隣の晩ごはん」としてスタート。名物コーナーの原点。 |
| 2002年4月~2006年3月 | ザ!情報ツウ | 「帰ってきた!突撃!隣の晩ごはん」として復活。 |
| 2006年~2009年3月 | NNN Newsリアルタイム | 「突撃リアル!隣の晩ごはん」として夕方の報道番組内で放送。 |
| 2009年~2010年3月 | おもいッきりDON! | 昼の情報番組へ移動し、コーナーを継続。 |
| 2010年4月~2011年3月 | DON! | 隔週の人気コーナーとして放送。 |
| 2011年以降 | 突撃!隣の晩ごはん傑作選など | 系列局での傑作選放送や特別企画へ。 |
| 2016年~2017年 | BS日テレ・真麻のドドンパッ! | 約5年半ぶりに晩ごはん企画がレギュラー復活。2017年には特別番組も放送。 |
| 2020年~2023年 | インターネット・老人ホーム訪問企画 | SNSやYouTubeへの展開、福祉施設への訪問などに発展。 |
| 2021年~2026年 | 突撃!ヨネスケちゃんねる | 落語や寄席の舞台裏を中心に、動画メディアで活動を継続。 |
ルックルックこんにちはで生まれた名物企画
最初の放送母体となった『ルックルックこんにちは』は、日本テレビ系で1979年から2001年3月まで放送された朝のワイドショーだ。
1985年に始まった「突撃!隣の晩ごはん」は、毎日の食卓という普遍的なテーマと、突然訪問するという意外性を組み合わせた企画だった。
2001年3月に同番組が終了すると、企画もいったん区切りを迎える。しかし、2002年4月から『ザ!情報ツウ』で「帰ってきた!突撃!隣の晩ごはん」として復活。過去の人気が新しい番組でも通用することを示した。
ザ!情報ツウからNNN Newsリアルタイムへ
『ザ!情報ツウ』は2002年4月から2006年3月まで放送された日本テレビの朝の情報番組だ。
同番組の終了後も企画は残り、2006年には夕方の報道番組『NNN Newsリアルタイム』へ移動した。この時期は「突撃リアル!隣の晩ごはん」という名称で、夕方の特集コーナーとして放送されていた。
朝のワイドショーから夕方の報道番組へ移っても成立したのは、家庭の食卓という題材が特定の視聴者層に限定されないからだ。夕食の時間帯に家族が何を食べているのかという関心は、番組の放送時間が変わっても失われなかった。
おもいッきりDON!からDON!へ
2009年には昼の情報番組『おもいッきりDON!』へ移動。2010年4月からは『DON!』内で継続された。
2011年3月まで昼の人気コーナーとして放送されたことが、地上波における大きな転換点となる。
なお、2011年以降も系列局で「突撃!隣の晩ごはん傑作選」が放送されるなど、地上波のレギュラーコーナー終了と企画そのものの終了は同じ意味ではなかった。
【約6,000軒の訪問秘話】ヨネスケが見た驚きの晩ごはんと巨大しゃもじ
「突撃!隣の晩ごはん」を語るうえで欠かせないのが、ヨネスケの訪問実績だ。
2026年3月26日放送のテレビ朝日系『徹子の部屋』で、ヨネスケは黒柳徹子から訪問した家庭の数を尋ねられ、6,000軒以上と回答した。
1985年の開始から長年にわたって日本全国の家庭を訪問してきた数字である。単に訪問件数が多いだけでなく、地域ごとの食文化や家庭の事情を直接見てきた経験は、ヨネスケならではの財産になっている。
田園調布では36軒連続で断られた
訪問先が必ず歓迎してくれるわけではない。
2024年9月30日放送の『徹子の部屋』でヨネスケが明かしたのは、東京・田園調布でのロケ秘話だった。
大きなしゃもじを持ってインターホンを押し、訪問の目的を伝えたものの、36軒すべてに断られたという。
さらに、周辺で不審な人物がいると思われたのか、パトカーが巡回し始めたというエピソードも披露している。警察にしゃもじを見せると企画の趣旨を理解してもらえたものの、結局その日の田園調布では一軒も取材できなかった。
この話から分かるのは、名物企画の裏側には、訪問を断られることも含めた地道なロケ活動があったということだ。
忘れられない晩ごはんは伊勢海老入りのカレー
数多くの家庭を訪問したヨネスケが印象的な料理として挙げたものの一つが、千葉県鴨川市で出会ったカレーだった。
家庭の人は、カレーを見せることを恥ずかしがっていた。しかし、鍋のふたを開けると、そこには伊勢海老やウニ、アワビといった豪華な海産物が入っていたという。
漁師の家庭にとっては、海で取ってきた食材を使った日常の料理だった。外から見ると豪華な食事でも、作る側にとっては特別なごちそうではなかったという感覚の違いが、このエピソードの面白さだ。
番組が紹介していたのは、料理の値段や高級感ではない。その土地で暮らす人々にとっての当たり前の食卓だった。
巨大なしゃもじは木製から発泡スチロール製へ
ヨネスケの代名詞といえば、番組名が書かれた巨大なしゃもじだ。
実は、初期のしゃもじは本物の木で作られていた。ところが、何軒も続けて訪問するロケでは、木製の大きなしゃもじは重すぎた。ヨネスケ本人の話によると、長時間持ち続けると手が震えるほどだったという。
そこで、後に発泡スチロール製のしゃもじへ変更された。軽量化によって、複数の家庭を回るロケでも扱いやすくなった。
さらに、2026年9月の文春オンラインのインタビューでは、海外ロケでしゃもじをオール代わりに使ったという珍しいエピソードも紹介された。
首長族を訪問した際、川を渡るためにしゃもじで水をかいていたところ、しゃもじが折れて流されてしまったという。番組の象徴だった小道具が、思いがけない場面で実用品になったわけだ。
また、2026年3月の『徹子の部屋』では、ヨネスケが講演などでしゃもじをプレゼントすることもあると話している。しゃもじは単なる小道具ではなく、本人の芸能活動を象徴する存在になっている。

【初回ロケはヤラセだった?】アポなし訪問の実態を本人の証言から検証
「突撃!隣の晩ごはん」をめぐって、以前から関心を集めてきたのが、アポなし訪問は本当に事前連絡なしだったのかという疑問だ。
突然の訪問にもかかわらず、料理がきれいに並んでいたり、家族がカメラを意識していたりする場面を見て、事前に準備していたのではないかと感じた視聴者もいた。
この疑問については、ヨネスケ本人が過去のインタビューで初回ロケの裏側を説明している。
初回ロケの最初の一軒は事前に連絡していた
2019年1月のSmart FLASHのインタビューや、2026年9月の文春オンラインのインタビューで、ヨネスケは初回ロケの出来事を振り返っている。
1985年の最初のロケは、新宿の都営住宅に住む80歳前後の老夫婦の家庭だった。
ところが、玄関では奥さんが三つ指をついて出迎え、食卓にはウナギ、天ぷら、寿司が並んでいた。さらに、ご主人はネクタイを締めて待っていたという。
ヨネスケが不自然さを感じたのも無理はない。普段の夕食を突然訪問して紹介するという企画なのに、まるで来客を迎えるために準備したような食卓だったからだ。
実際、ディレクターが心配して、最初の一軒には事前に訪問を知らせていたことが後に分かった。
ヨネスケは、この家庭の映像を採用することに反対し、次の家庭から本当のアポなし訪問に切り替えたと説明している。
初回の最初の訪問先には事前連絡があったが、その映像は採用せず、次の家庭から本当の突撃を始めた。
つまり、「初回ロケはヤラセだった」という話には事実に基づく部分がある。ただし、番組全体が仕込みだったという意味ではない。最初の一軒に限った事前連絡と、その後の取材の実態は区別する必要がある。
実際のロケでは3軒の訪問を目指していた
2026年9月の文春オンラインのインタビューでは、ロケの具体的な進め方も語られている。
当時は1日におおむね3軒を訪問。食事をしている家庭では、15分ほどで食べ終わることが多く、長くても30分程度だったという。
そのため、近所の3軒を回るには、1時間以内を目安に次の訪問先を探さなければならなかった。
地方では、夕食の時間帯も家庭によって違う。漁師の家庭では午後5時ごろから夕食が始まる一方、農業を営む家庭では、日没まで仕事をするため午後7時から8時になることもあった。
ヨネスケは、地域の生活リズムに合わせて訪問先を探していた。料理の匂いを手がかりにしたり、洗濯物などから家族構成を想像したりしながら、足で取材先を探していたという。
訪問しても約3分の1は断られていた
2022年12月のFRIDAYデジタルのインタビューでは、ヨネスケが訪問先の約3分の1から断られていたことも明らかになった。
本当に怒っている相手には無理に入ろうとせず、スタッフとともに謝罪していたという。こうした断られた場面は放送されないため、視聴者には成功した訪問だけが印象に残りやすかった。
また、当時と現在では訪問を取り巻く環境も大きく異なる。以前は玄関のインターホンにカメラが付いていない家庭も多かったが、現在は訪問者の顔を確認できる機器が広く普及している。
プライバシーや撮影への同意、コンプライアンスへの意識も変化した。突然の訪問を面白さの中心に据えるテレビ企画は、時代とともに制作上の難しさが増していった。
【放送終了理由の真相】2011年にレギュラー放送が終わりBS日テレで復活
「突撃!隣の晩ごはん」が放送終了した理由を調べるとき、最初に整理したいのは、企画自体が独立した長寿番組だったわけではないという点だ。
基本的には、情報番組やワイドショーの中に組み込まれた人気コーナーだった。そのため、放送母体となる番組が終了したり、大幅に改編されたりすると、コーナーの放送場所も変わってきた。
2011年のDON!終了が大きな転換点
2011年1月、日本テレビは春の番組改編を発表した。
昼の情報番組『DON!』は同年3月で終了し、3月28日から南原清隆をメインMCに迎えた新番組『ヒルナンデス!』が始まることになった。
これは昼の帯番組を大きく入れ替える日本テレビの編成改革の一環だった。2011年春の改編では朝や昼の番組も含めて大規模な変更が行われている。
その結果、2011年3月まで『DON!』で放送されていた「突撃!隣の晩ごはん」も、従来のレギュラーコーナーとしては一区切りを迎えた。
したがって、放送終了の背景としては、企画単独の不祥事や突然の打ち切りというより、放送母体の番組終了と昼の番組編成の刷新が大きかったと整理できる。
2016年にBS日テレで約5年半ぶりの復活
地上波のレギュラー放送が終わった後も、ヨネスケは晩ごはん企画への意欲を失っていなかった。
2016年10月、BS日テレの情報番組『真麻のドドンパッ!』内で「突撃!隣の晩ごはん」が復活。ヨネスケ本人もブログで、約5年半ぶりにレギュラーとして戻ってきたことを報告している。
2017年3月14日には、BS日テレで特別番組「突撃!隣の晩ごはん2017~ヨネスケ32年目の大復活祭 謎も秘密も大暴露SP~」が放送された。
この特別番組では、過去の名場面だけでなく、スタッフによるロケの裏側の振り返りも企画された。長年続いた企画の歴史を改めて見せる内容だった。
ただし、復活時の放送母体だった『真麻のドドンパッ!』も終了しており、2026年現在のBS日テレで定期的に放送されているわけではない。
テレビからインターネットへ活動の場を広げた
2020年には、ヨネスケがSNSを使った発信を進め、「突撃!隣のヨネスケチャンネル」という名称でも活動を展開した。
2021年には、公式サイトで落語界を応援するYouTubeチャンネル「突撃!ヨネスケちゃんねる」の開設を告知。テレビの番組枠に依存せず、自分自身で動画を発信するスタイルへと活動の幅を広げている。
2023年には「ヨネスケが行く!突撃!?隣の老人ホーム」という企画も展開した。新型コロナウイルスの影響で外出機会が減った高齢者に笑いや元気を届けることを目的に、全国の老人ホームを訪問する取り組みだ。
この企画は、千葉県市原市の4施設への訪問から始まった。従来の家庭訪問とは異なるものの、人と直接会い、会話を通じて場を盛り上げるという「隣の晩ごはん」の精神は受け継がれている。

【ヨネスケの2026年現在】78歳で改名・テレビ出演・YouTube活動を継続
2026年のヨネスケは78歳。かつての番組レポーターというイメージだけでは捉えきれない活動を続けている。
落語家としての高座、テレビ出演、YouTubeでの発信、講演活動など、複数の分野で活動しているのが現在の姿だ。
2026年3月26日「徹子の部屋」に出演
2026年3月26日、ヨネスケはテレビ朝日系の長寿トーク番組『徹子の部屋』に出演した。
番組では「突撃!隣の晩ごはん」の思い出や、訪問した家庭が6,000軒以上に達したことなどを振り返った。
この出演で特に注目されたのが、高市早苗首相との意外な接点だった。
高市早苗首相の議員会館にも突撃していた
ヨネスケによると、若手議員時代の高市早苗氏の食事を取材したことがあったという。
企画名は「突撃!隣の議員会館」。当時の高市氏はサバの塩焼きを食べていたとされる。
2026年2月には、小野田紀美氏の関連するYouTube企画で高市氏が過去の訪問について話していたことを受け、ヨネスケも自身のXで喜びを投稿した。
その後、3月26日の『徹子の部屋』でもこのエピソードを紹介。高市氏が自分の名前を覚えていてくれたことがうれしかったと語った。
この話題が興味深いのは、家庭の食卓を訪ねる企画が、政治家の仕事場にも広がっていたことだ。普通の家庭だけでなく、議員会館という普段は一般の人が入りにくい場所にも、ヨネスケの取材スタイルが持ち込まれていた。
2026年9月1日、桂米助からヨネスケへ改名
2026年の大きなニュースの一つが、落語家としての芸名変更だ。
2026年8月31日、本人は公式サイトとプレスリリースで、翌9月1日から落語家としての名前を「桂米助」から「ヨネスケ」に変更すると発表した。
本人の説明によれば、長年落語家として「桂米助」の名前で活動してきた一方、一般の人には「ヨネスケ」の名前のほうが広く知られている。そのため、落語の高座でも親しまれている名前を使うことにしたという。
師匠の桂米丸から受け継いだ名前を変更することへの葛藤にも触れつつ、今後は「ヨネスケ」として高座に上がることを表明した。
公益社団法人落語芸術協会のプロフィールでも、2026年9月に芸名表記をヨネスケに統一したことが記載されている。
YouTubeでは落語界の舞台裏にも突撃
2026年の「突撃!ヨネスケちゃんねる【落語と晩ごはん】」は、かつての家庭訪問だけを再現するチャンネルではない。
落語家の高座、寄席の裏側、落語界の著名人との交流など、ヨネスケ自身の人脈や経験を生かしたコンテンツが中心になっている。
2026年には、落語家の稽古風景や寄席の舞台裏、落語芸術協会のイベントなども取り上げられている。10月には「復活!!深夜寄席」などの動画も公開された。
また、本人の公式サイトでは2026年6月に「講演×落語」の二刀流プランも告知されている。テレビの仕事だけに活動を限定せず、落語家としての経験を講演やイベントにも生かしている。
2026年9月29日には「令和8年千葉豪雨チャリティー落語会」に出演。千葉県にゆかりのある落語家たちとともに、被災地支援を目的とした公演に参加した。
現在のヨネスケは、かつての名物レポーターという肩書を保ちながら、落語家としての活動も前面に出している。
【プロの結論】なぜ「突撃!隣の晩ごはん」は長く愛されたのか
この企画の成功を考えるとき、注目すべきなのは、料理の紹介と人間関係の観察を同時に成立させていた点だ。
通常の料理番組は、料理の作り方や食材、味付け、完成した料理の見た目に焦点を当てる。一方、「突撃!隣の晩ごはん」は、料理を作った人や食卓を囲む家族の会話まで含めて紹介した。
つまり、料理を入口にして家庭の日常を映し出す番組だった。
視聴者が見たかったのは料理だけではない
同じカレーでも、地域によって具材や味付けは違う。漁師の家庭と農家の家庭では、夕食の時間も食材も異なる。
番組は、そうした違いを説明的に紹介するのではなく、実際の食卓を見せることで自然に伝えていた。
また、ヨネスケが訪問先で交わす会話には、台本どおりの料理番組にはない予測不能な要素があった。突然の訪問に驚く人、積極的に料理を勧める人、最初は警戒していても次第に笑顔になる人。それぞれの家庭の個性が番組の面白さになっていた。
現在のテレビ環境では同じ形式が難しい理由
一方、2026年の社会環境で同じ形式をそのまま再現するのは簡単ではない。
第一に、インターホンのカメラによって訪問者の確認が容易になったこと。第二に、個人情報や家庭内の撮影に対する意識が変わったこと。第三に、新型コロナウイルスの流行を経て、他人の自宅に入ることへの心理的な抵抗も強まったことだ。
FRIDAYデジタルの2022年の取材でも、ヨネスケ自身がインターホンのカメラやコンプライアンスの問題に触れている。
昔のように玄関を開けてもらい、そのまま食卓へ進むというスタイルは、現代の撮影環境では成立させにくい。企画を復活させるなら、訪問の事前説明や撮影許可、出演者のプライバシー保護などをより丁寧に設計する必要がある。
これからの「隣の晩ごはん」を楽しむ判断基準
今後、過去の映像や関連企画を見る際には、次の3点を区別すると情報を整理しやすい。
1. 地上波レギュラー放送と企画の復活を区別する。
2011年のレギュラー終了後も、BS日テレや特別企画、インターネットで関連活動は続いている。番組の定期放送がないことと、企画が完全消滅したことは同じではない。
2. 初回ロケの事前連絡と、その後のアポなし訪問を区別する。
初回の一軒目には事前連絡があったが、映像は採用されず、その後は実際に突然訪問するスタイルに切り替わった。
3. ヨネスケの活動をテレビ出演だけで判断しない。
2026年は落語、YouTube、講演、チャリティー公演など複数の活動が確認できる。かつてのテレビ番組だけが現在の活動のすべてではない。
「突撃!隣の晩ごはん」の歴史を振り返ることは、昭和から平成、令和にかけて家庭の食卓やテレビ番組の作り方がどう変化したかを知ることにもつながる。
【突撃!隣の晩ごはん】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:突撃!隣の晩ごはんは何年に始まりましたか?
A1:1985年です。日本テレビの朝のワイドショー『ルックルックこんにちは』内で始まりました。
Q2:突撃!隣の晩ごはんはなぜ放送終了したのですか?
A2:2011年3月に『DON!』が終了し、日本テレビの昼の番組編成が大きく変更されたことが主な転換点です。企画単独の不祥事によって突然打ち切られたという経緯ではありません。
Q3:ヨネスケは何軒の家庭を訪問しましたか?
A3:本人が2026年3月の『徹子の部屋』で、6,000軒以上と明かしています。
Q4:初回ロケは本当にヤラセだったのですか?
A4:初回ロケの最初の一軒には、ディレクターが事前に訪問を伝えていました。ヨネスケは不自然だと判断して映像を採用せず、次の家庭から本当のアポなし訪問に切り替えたと説明しています。
Q5:BS日テレで放送されたことはありますか?
A5:あります。2016年10月に『真麻のドドンパッ!』内で復活し、2017年3月には特別番組も放送されました。
Q6:ヨネスケは2026年現在も活動していますか?
A6:活動しています。2026年3月には『徹子の部屋』に出演し、YouTubeでの動画配信や落語、講演なども続けています。また、同年9月1日から落語家としての芸名を「桂米助」から「ヨネスケ」に変更しました。
Q7:高市早苗首相も突撃!隣の晩ごはんに出演したのですか?
A7:ヨネスケ本人によると、若手議員時代の高市氏の食事を「突撃!隣の議員会館」という企画で取材したことがあります。その際、高市氏はサバの塩焼きを食べていたと、2026年3月の『徹子の部屋』で明かしています。
Q8:巨大なしゃもじは本物の木でできていたのですか?
A8:初期のしゃもじは木製でした。しかし重くてロケ中に持ち続けるのが大変だったため、後に発泡スチロール製へ変更されました。海外ロケではオール代わりに使って折れてしまったという逸話もあります。
まとめ:突撃!隣の晩ごはんは形を変えて2026年も続いている
「突撃!隣の晩ごはん」は、1985年に『ルックルックこんにちは』で始まり、2001年の番組終了後も『ザ!情報ツウ』『NNN Newsリアルタイム』『おもいッきりDON!』『DON!』と放送の場を変えながら続いてきた。
2011年3月に地上波のレギュラーコーナーとしては一区切りを迎えたものの、2016年にはBS日テレで復活。さらにYouTubeや老人ホーム訪問企画など、テレビ以外の活動にも発展している。
ヨネスケが訪問した家庭は6,000軒以上。田園調布で36軒連続して断られた話や、初回ロケの一軒目に事前連絡があった話、海外ロケでしゃもじを折ってしまった話など、番組の裏側には数々のエピソードが残されている。
そして2026年には、『徹子の部屋』で高市早苗首相との意外な接点が紹介され、9月には落語家としての芸名をヨネスケに統一するという新たな転機も迎えた。
長年愛された理由は、豪華な料理でも派手な演出でもなく、誰かの家の普通の晩ごはんを通じて、その家庭の暮らしや人柄を伝えてきたことにある。
テレビの定期放送は終了しても、食卓を訪ね、人と話し、笑顔を引き出すヨネスケのスタイルは健在だ。「突撃!隣の晩ごはん」は、昭和・平成・令和をつないできた日本のテレビ史に残る名物企画として、これからも語り継がれていくだろう。
(出典: 突撃 隣 の 晩 ごはん(Yahoo!ニュース))