【なぜ日本テレビを退社した?】上重聡がフリー転身を決めた本当の理由
上重さんが日本テレビを退社したのは、2024年3月31日です。2003年の入社から21年間勤めたテレビ局を離れ、翌4月からフリーアナウンサーとして新たなキャリアをスタートさせました。
退社発表は2024年1月22日。翌28日には「シューイチ」の生放送でも視聴者に報告しています。
退社理由は新しい環境への挑戦
本人が説明した退社の背景には、以前から抱いていたフリー転身への思いがありました。
2024年11月の日刊SPA!のインタビューでは、30代前半からフリーに挑戦したい気持ちがあったと明かしています。
決断のきっかけになったのは、山本由伸投手や今永昇太投手がメジャーリーグに挑戦するというニュースでした。
日本で実績を積んだ選手が、安定した環境を離れて海外に挑む姿を見て、自分自身にも同じ問いを投げかけたといいます。
局アナウンサーとして安定した立場を築いていたからこそ、あえて厳しい環境に飛び込むことを選んだのです。
退社発表時には、次のような決意を示しました。
「厳しい道ではあるが、人生後悔しないように、チャレンジしたい」
2024年1月22日に発表した退社メッセージの趣旨。日刊スポーツ掲載。
また、本人はフリー転身を誰かに相談して決めたわけではなく、自分自身で判断したとインタビューで話しています。
退社後はどのような仕事をしている?
フリー転身直後は、あらかじめ決まったレギュラー番組も所属事務所もない状態からのスタートでした。
2024年4月には、松坂大輔さんのYouTubeチャンネルに出演。野球関連の動画出演や講演会など、従来のテレビ局勤務とは異なる仕事にも挑戦しました。
2025年4月のスポニチ報道では、次のような仕事が紹介されています。
- メジャーリーグ関連の実況
- 上原浩治さんのYouTubeチャンネルへのレギュラー出演
- 全国各地での講演会
- 新人アナウンサーなどを対象とした研修
特に講演会については、本人が収入源の大きな部分を占めると説明しています。
テレビ局を辞めたことで、スポーツ実況だけに限定されない働き方を模索していることが分かります。
【PL学園・松坂大輔との延長17回】上重聡の野球経歴がすごい!
上重さんを語るうえで欠かせないのが、高校・大学時代の野球実績です。
アナウンサーとしてスポーツ実況を担当する際にも、選手として全国大会を経験した背景が強みになっています。
PL学園では3度の甲子園出場
上重さんは野球の名門・PL学園高校で投手として活躍しました。
公式プロフィールに掲載されている主な甲子園実績は以下の3大会です。
- 1996年夏・第78回全国高校野球選手権大会:ベスト16
- 1998年春・第70回選抜高校野球大会:ベスト4
- 1998年夏・第80回全国高校野球選手権大会:ベスト8
特に1998年は春夏連続で甲子園に出場し、エースとしてチームをけん引しました。
松坂大輔との延長17回の名勝負
1998年夏の甲子園準々決勝で、PL学園は松坂大輔さんが率いる横浜高校と対戦しました。
この試合は延長17回までもつれ込む歴史的な熱戦として知られています。
試合は横浜高校が9対7で勝利。松坂さんは250球を投げて完投し、上重さんも7回から救援登板して11イニングを投げ抜きました。
上重さんにとって、この試合は高校野球人生を象徴する出来事となりました。
2024年のTOKYO FM「SPORTS BEAT supported by TOYOTA」では、当時の松坂さんの投球について振り返っています。
松坂さんが延長に入ってから見せた投球のすごさは、現在も上重さん自身の記憶に残るものです。
立教大学では東京六大学野球史上2人目の完全試合
高校卒業後、上重さんは立教大学コミュニティ福祉学部へ進学し、硬式野球部に所属しました。
ここでも大きな記録を残しています。
2000年10月22日、東京大学との試合で完全試合を達成。
東京六大学野球では、1964年春の慶應義塾大学・渡邊泰輔さん以来、36年ぶり史上2人目の快挙でした。
ただし、大学時代は決して順風満帆ではありません。
本人の著書『怪物と闘ったPLのエース』では、大学でイップスを経験し、投手を外れて外野手に転向した時期や、松坂さんと比較される苦悩についても語られています。
一度は野球を辞めたいと考えるほど追い詰められながら、再びマウンドに戻り、完全試合を達成しました。
華やかな甲子園の実績だけでは見えてこない、挫折と復活の経験です。
上重聡の野球・アナウンサー経歴年表
これまでの主な転換点を整理すると、次のようになります。
- 1996年: PL学園で夏の甲子園に出場。ベスト16。
- 1998年春: センバツでベスト4。
- 1998年夏: 松坂大輔さんの横浜高校と延長17回の激闘。ベスト8。
- 2000年: 立教大学で東京六大学野球史上2人目の完全試合。
- 2003年: 日本テレビ入社。
- 2015年: 「スッキリ」の総合司会に就任。
- 2024年3月: 日本テレビを退社。
- 2024年4月: フリーアナウンサーとして活動開始。
- 2026年: テレビ番組へのゲスト出演やイベント司会などで活動。
【評判と過去の報道】上重聡はなぜ注目され続ける?
上重さんの評判を考える際には、スポーツアナウンサーとしての実績と、過去に報じられた問題を分けて見る必要があります。
2015年の利益供与報道とは?
上重さんは2015年4月、週刊文春によって、番組スポンサー企業の元会長から約1億7000万円の無利息融資を受けたなどと報じられました。
当時は「スッキリ」の総合司会に就任した直後だったため、大きな話題になりました。
上重さんは2015年4月2日にコメントを発表し、次のように説明しています。
- 相手とは以前から親交があった。
- あくまでプライベートな交友関係だった。
- 会社や仕事について特別な便宜を図ってもらったことはない。
- 疑念を招いたことについては反省している。
また、日本テレビは車での通勤について社内規則違反として厳重注意したと説明しています。
その後、2015年9月にマンションを売却したと報じられ、2016年3月の「スッキリ」最終出演時には借入金を全額返済したことを本人が明かしました。
この報道は、アナウンサーに求められるコンプライアンスやスポンサーとの距離感について考えるきっかけになりました。
一方、2024年の日本テレビ退社理由として本人が説明したのは、フリーへの挑戦です。2015年の報道と2024年の退社を直接結びつける説明は、本人の退社メッセージにはありません。
2026年にも過去の報道について質問されている
2026年5月8日の「5時に夢中!」では、過去に報道された問題を連想させる質問がミッツ・マングローブさんから投げかけられました。
上重さんは苦笑しながら応じ、スタジオでは笑いが起きたとスポニチが伝えています。
また、2026年10月16日の同番組では、青井実さんとの共演が話題になりました。
こうした出演からも、上重さんは現在、スポーツだけでなく、自身の過去や局アナ時代の経験を題材にしたトークにも対応していることが分かります。
アナウンサーとしての実力は評価されている?
日本テレビの石澤顕社長は、2024年1月の退社発表時、上重さんについてスポーツ中継でエース級の存在と評価しました。
野球経験を生かしたスポーツ実況や、箱根駅伝、五輪中継などの実績は、アナウンサーとしての大きな財産です。
上重さんの評判は、過去の報道だけで判断できるものではありません。
スポーツの専門性、情報番組での経験、フリー転身後の仕事への向き合い方など、複数の側面から見る必要があります。
【上重聡の年収はいくら?】フリー転身後の収入事情
上重さんの年収も検索されることの多いテーマです。
ただし、2026年現在の具体的な年収は公表されていません。
参考になるのは、本人がテレビ番組で明かした過去の収入に関する発言です。
2024年はYouTube出演料も公開
2024年7月の「行列のできる相談所」では、フリー転身後の仕事について説明しました。
野球関連のYouTube動画については、1本当たりの出演料が3万~5万円程度と明かしています。
4月からの出演本数は合計20本と紹介され、番組内では60万~100万円程度と試算されました。
また、当時は講演会の仕事も行っていました。
2025年には日本テレビ時代の年収を超えたと発言
2025年4月18日放送の「5時に夢中!」では、フリー転身から約1年が経過した時点の収入について質問されました。
上重さんは、日本テレビ時代の年収と比較して「若干超えたくらい」と説明しています。
さらに、講演会が収入源の大きな部分を占めることも明かしました。
つまり、フリーになった当初は仕事が少なかったものの、徐々に活動の幅を広げ、収入面でも一定の成果を得ていたことが分かります。
ただし、2025年の発言をそのまま2026年の年収に当てはめることはできません。
現在の収入額や仕事別の報酬については、具体的な公表情報がありません。
【プロの結論】上重聡のフリー転身から分かる3つのポイント
上重さんのキャリアを振り返ると、注目すべき点は3つあります。
1. 野球経験がアナウンサーとしての専門性につながっている
甲子園での実績や大学野球での完全試合は、単なる過去の栄光ではありません。選手の心理や試合展開を理解するための経験として、スポーツ実況にも生かされています。
2. 局アナからフリーへの転身は、安定を手放す決断だった
21年間勤めた日本テレビを離れ、仕事を自分で獲得する立場になりました。講演会やYouTube、スポーツ実況など、仕事の幅を広げる必要が生まれています。
3. 2026年は固定レギュラーの獲得が課題
2026年初頭には本人もレギュラー番組がないことを認めています。一方で、テレビ出演やイベントの仕事は続いています。
今後の評価を左右するのは、局アナ時代の知名度だけでなく、フリーとしてどのような専門性や独自のポジションを確立できるかという点です。
【かみしげあな・上重聡に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:上重聡アナの読み方は何ですか?
A1:上重聡は「かみしげ・さとし」と読みます。1980年5月2日生まれで、大阪府八尾市出身のフリーアナウンサーです。
Q2:上重聡は現在何をしていますか?
A2:2026年現在、フリーアナウンサーとして活動しています。TOKYO MX「5時に夢中!」へのゲスト出演やイベント司会などが確認できます。局アナ時代とは異なり、固定レギュラー番組を中心としない活動形態です。
Q3:上重聡が日本テレビを退社した理由は何ですか?
A3:本人が説明した理由は、新しい環境で自分自身に負荷をかけ、さまざまな仕事に挑戦するためです。以前からフリー転身への思いがあり、メジャーリーグに挑戦する野球選手の姿に刺激を受けたと話しています。
Q4:上重聡と松坂大輔の関係は?
A4:1998年夏の甲子園準々決勝で、上重さんのPL学園と松坂さんの横浜高校が対戦しました。延長17回の末に横浜高校が勝利した名勝負です。
Q5:上重聡の年収はいくらですか?
A5:2026年現在の具体的な年収は公表されていません。2025年4月には、日本テレビ時代の年収を若干上回ったと本人が明かしています。
まとめ:上重聡は2026年もフリーアナウンサーとして挑戦を続けている
「かみしげあな」の正体は、元日本テレビアナウンサーの上重聡(かみしげ・さとし)さんです。

PL学園での甲子園出場、松坂大輔さんとの延長17回の激闘、立教大学での完全試合という野球実績を持ち、2003年から21年間、日本テレビのアナウンサーとして活躍してきました。
2024年3月の退社は、本人が長年抱いていたフリーへの挑戦を実現するための決断でした。
2026年10月現在は、TOKYO MX「5時に夢中!」への出演やイベント司会などで活動しています。固定レギュラー番組の獲得という課題は残っていますが、スポーツ実況、講演会、テレビ出演など、これまで培ってきた経験を生かせる分野は幅広くあります。
今後は、甲子園経験者としての専門性と、21年間のテレビ局勤務で身につけた伝える力をどのように組み合わせていくのか。フリーアナウンサーとしての次の展開にも注目したいところです。 (出典: かみ しげ あな(Yahoo!ニュース))