【政治活動と政策実績】山口那津男氏が取り組んだ代表的な仕事
山口氏の政治家としての実績を振り返ると、特に特徴的なのが、対人地雷の除去支援、学校施設の耐震化、環境問題への取り組みです。

なかでも地雷除去支援は、山口氏自身が長年のライフワークとして位置づけてきた活動です。単に党の政策を説明するだけでなく、日本の技術や国際協力を通じて、被害を減らす仕組みをつくろうとしてきました。
1.対人地雷の除去支援をライフワークに
山口氏が地雷除去に関心を持つきっかけとなったのは、1991年のベトナム訪問でした。病院で地雷によって重傷を負った農家の人を目にし、日本の技術で地雷を取り除けないかと考えたことが出発点だったと、本人が公明党の議員リポートで説明しています。
2001年に参議院議員として国政に復帰すると、この問題を本格的なライフワークとして取り組むようになりました。企業や大学を訪問し、地雷除去機や探知機の研究開発予算の確保に取り組み、国内外での実証試験にも関わりました。
さらに、政府開発援助(ODA)を通じて、開発された機材を地雷被害国に提供する取り組みを進めました。
特にカンボジアでは、同国の地雷対策センター(CMAC)との連携が進みました。日本が機材面を支援し、カンボジア側が人材育成や訓練を担うという協力関係が構築されました。
2016年にはコロンビアを訪問し、政府と反政府ゲリラの和平合意を受けて、地雷除去支援の必要性をサントス大統領に訴えています。日本の機材支援とカンボジアの技術者育成を組み合わせる構想も進められました。
2025年1月に公明党公式サイトで公開された本人のリポートでは、ウクライナにおける地雷除去支援についても、日本とカンボジアが協力する準備を進めていると紹介されていました。
2.学校の耐震化と防災政策
山口氏が関わった政策分野の一つが、学校施設の耐震化です。
公立小中学校は、子どもたちが日常的に利用する教育施設であると同時に、地震などの災害時には地域住民の避難場所にもなります。そのため、校舎の耐震化は教育政策だけでなく、防災政策としても重要な課題でした。
公明党が2023年に公表した政策実績によると、公立小中学校の耐震化率は2002年時点の44.5%から、2023年4月時点で99.8%に上昇しています。国の予算確保や自治体の負担軽減、地方議員による働きかけなど、党全体で取り組んできた政策です。
山口氏の功績を考える場合、個人だけの成果として捉えるのではなく、国会議員と地方議員が連携する公明党の政策実現の仕組みの中で評価することが適切です。
3.東京大気汚染訴訟など環境問題への取り組み
山口氏の経歴を紹介する潮出版社のプロフィールでは、東京大気汚染訴訟の全面解決にも尽力したことが記されています。
東京大気汚染訴訟は、大気汚染による健康被害をめぐって、患者や住民らが国や東京都、道路管理者、自動車メーカーなどに責任を問うた問題です。
このような環境問題では、被害者の救済だけでなく、医療費負担、行政の責任、企業の対応など、複数の利害関係を調整する必要があります。弁護士出身の山口氏にとって、法律と政策をつなぐ活動領域の一つだったと考えられます。
政治家・山口那津男の実績をどう評価するか
山口氏の政策実績には、国内の生活環境を改善する取り組みと、国際的な人道支援という二つの方向性があります。
特に地雷除去支援は、政治家が外交交渉だけでなく、企業の技術開発、大学の研究、現地の人材育成、政府の援助制度を結びつけることで政策を実行できることを示した事例です。
代表在任期間の長さだけでなく、こうした具体的な政策分野にどのような働きかけをしたかを見ることが、山口氏の政治活動を理解するうえで大切です。
【政界引退の経緯】2024年の代表退任から2025年の参院選不出馬へ
山口氏の政界引退は、突然決まったものではありません。大きな転換点となったのは2024年9月の公明党代表退任と、2025年6月の参議院選挙への不出馬表明です。
2024年9月:15年間務めた代表を退任
2024年9月10日、山口氏は記者会見で、同月に実施される党代表選挙に立候補しない意向を表明しました。
報道によると、山口氏は70歳を超えたことに触れ、次の世代にバトンを譲るという考えを示しています。
「次の世代にバトンを譲るべきだと決断した」
この発言は、長期にわたって党のトップを務めてきた政治家が、自ら後継世代への交代を選択したことを示すものでした。
後任には石井啓一氏が選ばれました。その後、石井氏の退任を受けて斉藤鉄夫氏が代表に就任しています。
2025年6月20日:参議院選挙に出馬しないと表明
次の大きな節目が、2025年6月20日です。
この日、山口氏は公明党の会合で、夏に予定されていた参議院議員選挙に立候補せず、政界を引退すると表明しました。当時72歳で、東京都選挙区からの出馬が予定されていた時期でした。
テレビ朝日などの報道によると、山口氏は議員生活を振り返り、支えてくれた人々への感謝と次世代への継承について語っています。
「いただいた恩をまた次の世代に送り伝えていきたい」
また、引退を表明した際には、これまで取り組んできた対人地雷の除去と、公明党の強みであるネットワークを生かした政策実現力について、今後も個人として追求していきたいとの考えを示しました。
引退の理由は健康問題だったのか
山口氏の引退について、気になる人が多いのが健康面との関係です。
しかし、2024年の代表退任時に本人が説明したのは、年齢を踏まえて次世代にバトンを渡すという考えでした。2025年6月の政界引退表明でも、次世代への継承や周囲への感謝が中心的なメッセージとなっています。
公表された引退理由を整理すると、世代交代と長年の議員活動への区切りが軸です。健康問題を引退の直接的な理由とする本人の説明は、これらの発表からは読み取れません。
また、2024年の代表退任と2025年の政界引退は別の決断です。代表を退任した段階では常任顧問として党に残り、参議院議員としての任期も続いていました。その後、2025年の参院選に出馬しないことで、国会議員としての活動にも終止符を打つことになりました。
【斉藤鉄夫氏との関係】後継体制と山口氏の引退後の活動
公明党の代表経験者・現常任顧問
山口氏の代表時代に党幹部を務め、後に代表を引き継いだ政治家。
山口氏の引退後の立場を理解するうえで、斉藤鉄夫氏との関係は重要です。
斉藤氏は山口氏の代表時代に公明党の幹事長を務めた経験があり、党運営を支えてきた幹部の一人です。山口氏が代表を退任した後も、両者は公明党の運営に関わる立場で活動してきました。
山口氏から斉藤氏へ、そして次の党体制へ
2024年9月、山口氏の退任後に石井啓一氏が代表に就任しました。しかし、同年10月の衆議院議員総選挙で石井氏が落選し、代表を辞任。その後、11月に斉藤氏が代表に就任しました。
2024年11月25日には、斉藤代表と山口常任顧問が韓日議員連盟の関係者との会合に同席しています。公明党の公式報道では、山口氏が党の外交的な役割について発言したことも紹介されています。
この出来事は、代表を退いた山口氏が、後継体制のもとでも党の対外活動に関わっていたことを示す一例です。
2026年は山口氏と斉藤氏がともに常任顧問
2026年10月現在、公明党の公式役員一覧では、山口氏と斉藤氏の両方が常任顧問として掲載されています。
一方、党の代表は岡本三成氏です。山口氏が代表に復帰したわけでも、斉藤氏が現在も代表を務めているわけでもありません。
ここは検索時に混同されやすいポイントです。過去の報道記事では斉藤氏が代表として紹介されることがありますが、2026年の役員情報では、両氏とも常任顧問という立場です。
政界引退後も続く地雷除去支援への関心
山口氏が政治家として長年取り組んできたテーマの一つが、対人地雷の除去支援です。2025年6月の引退表明でも、この活動を今後も個人として追求していきたいという趣旨を語っています。
この発言からは、議員としての立場を離れた後も、特定の政策課題への関心を持ち続ける姿勢がうかがえます。
ただし、2026年現在の具体的な海外訪問、支援プロジェクトへの参加、講演活動などについては、公式に確認できる個別の活動実績と、今後の意向を区別して捉える必要があります。
少なくとも公明党の常任顧問という現在の立場と、本人が長年掲げてきた人道支援への関心は、引退後の山口氏を理解するうえで欠かせない要素です。
【よくある誤解を整理】山口那津男氏について知っておきたいこと
山口氏に関する情報を調べる際には、代表退任、政界引退、常任顧問就任という三つの出来事を混同しないことが大切です。
政界引退と党役員としての活動は別
「政界引退」という報道だけを見ると、公明党との関係も完全に終了したように受け取られがちです。しかし、2026年の公式役員一覧には常任顧問として掲載されています。
つまり、国会議員としての活動を終えたことと、党の役職をすべて辞めたことは同じではありません。
15年間の代表在任と議員歴は別の数字
公明党代表としての在任期間は約15年間ですが、国会議員としての活動は1990年の衆議院初当選から始まっています。代表になる前にも、衆議院議員や参議院議員として長い経験を積んでいました。
したがって、政治家としてのキャリアを15年間だけで説明するのは正確ではありません。
「なっちゃん」は正式な役職名ではない
「なっちゃん」は山口氏の愛称です。正式な肩書ではなく、報道や支持者の間で親しまれてきた呼び名です。
愛称と公的な役職を区別して理解すれば、人物情報の混同も避けられます。
【山口那津男の現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:山口那津男氏は2026年現在、何をしていますか?
A1:2026年10月現在、公明党の常任顧問を務めています。2025年に政界引退を表明しており、国会議員ではありません。党の公式役員一覧にも常任顧問として掲載されています。
Q2:山口那津男氏はなぜ政界を引退したのですか?
A2:2024年の代表退任時には、年齢を踏まえて次世代にバトンを渡す考えを説明しました。2025年6月20日には参院選不出馬と政界引退を表明し、長年支えてくれた人々への感謝と次世代への継承を語っています。
Q3:山口那津男氏は公明党代表を何年間務めましたか?
A3:2009年9月から2024年9月まで、連続8期、約15年間務めました。1998年の公明党再結成以降で最長の代表在任期間です。
Q4:山口那津男氏の後任は斉藤鉄夫氏ですか?
A4:代表退任直後の後任は石井啓一氏でした。その後、石井氏の辞任を受けて斉藤鉄夫氏が代表に就任しました。2026年10月現在、山口氏と斉藤氏はともに常任顧問で、党代表は岡本三成氏です。
Q5:山口那津男氏の愛称は何ですか?
A5:「なっちゃん」です。柔和な語り口や親しみやすい人物像とともに報道され、支持者の間でも知られてきた愛称です。
Q6:山口那津男氏の政治家としての代表的な実績は何ですか?
A6:対人地雷の除去支援、学校施設の耐震化、東京大気汚染訴訟の全面解決などが挙げられます。特に地雷除去支援は本人が長年のライフワークとして取り組んできた分野です。
【プロの結論】山口那津男氏の政治的な功績と引退後の意味
山口那津男氏の政治家としての歩みを振り返ると、弁護士としての専門性を土台に、衆議院・参議院の双方で経験を積み、公明党代表として約15年間にわたり党を率いてきたことが分かります。
代表在任中には、自民党との連立関係を維持しながら、公明党独自の政策を実現するための調整役を担いました。国内政策だけでなく、カンボジアやコロンビアなどでの地雷除去支援に取り組んできたことも、山口氏の政治活動を特徴づけています。
一方、2024年の代表退任と2025年の政界引退は、長期にわたる政治活動に区切りをつけ、次世代に役割を引き継ぐ過程でした。
2026年現在の山口氏を正確に理解するためには、次の3点を分けて見る必要があります。
- 政治家としての実績:衆参両院での議員活動と、公明党代表としての15年間。
- 政界引退の意味:2025年の参院選不出馬によって国会議員としての活動を終えたこと。
- 現在の立場:公明党常任顧問として、引き続き党の組織に関わる立場にあること。
特に注目したいのは、山口氏の政治的な役割が、選挙に出ることだけに限定されていない点です。長期の代表経験や外交、人道支援の知見をどのように次世代へ引き継ぐのかは、引退後の活動を考えるうえでも重要な視点になります。
今後、山口氏の新たな講演や国際支援活動、党の政策に関する発言が公表されれば、常任顧問としての役割をさらに具体的に把握できるでしょう。現時点では、「政界は引退したが、公明党の常任顧問として党との関係は続いている」という理解が、2026年10月現在の状況を最も正確に表しています。 (出典: 山口 那津 男(Yahoo!ニュース))